「未見坂」(堀江敏幸)①

大人が子どもに抱えさせているのです

「未見坂」(堀江敏幸)新潮文庫

父親のいない
小学校4年生の「少年」は、
転校してきた友人と
自転車を走らせる。
飛行機が上空を飛ぶ
ポイントとなる、連なる鉄塔の
見える場所へと急いだ。
その飛行機には、友人の父親が
カメラマンとして
同乗しているのだという…。
「滑走路へ」

以前の勤務校で、
七夕飾りをつくったことがあります。
7月7日に合わせて、廊下に飾った笹に、
子どもたちが自由に短冊に願いごとを
書いて飾り付けました。
子どもらしい無邪気な願いごとの中で、
私の目をひいたのは…、
「早く家族みんなで暮らせますように」。
何とも切なくなりました。

祖母の家に預けられる
ことになった「少年」は、
何日目かに体を壊し、寝込んだ。
おぼろげな意識の中で
思い出すのは、数年前に
姿を消した父との思い出。
二人で出かけた平日の動物園で、
父親は酒を飲み、
ベンチに寝込んでしまう…。
「なつめ球」

現代の子どもたちは、
私たちが幼かった頃よりも、
いろいろな事情を抱えて
生活しています。
この3つの作品も、
それぞれに事情を抱えた子どもたちが
主人公です。

夏休み、母親の兄の
「トンネルおじさん」の家に
預けられた都会育ちの「少年」。
母はどうしても家出した父と
話し合わなければ
ならないことがあるという。
「少年」は夏の工作の材料にする
木の根を掘りに、
おじさんとともに山に向かう…。
「トンネルのおじさん」

3作品ともに主人公の「少年」は
父親不在の小学生です。
「滑走路へ」の少年は、
父親の半身不随を気にかけている
友人に対して、
「仕事ができなくなっても、
父親がいてくれるだけでいいよ」という
気持ちを抱きます。
「なつめ球」の「少年」は、
母型の祖母の家で寝込んでも
父親を思い出すくらいの父親っ子です。
「トンネルのおじさん」の「少年」は、
おじさんの後ろ姿に
父親を重ねているようにも思われます。
「滑走路へ」だけは
母親の再婚がほのめかされ、
微かな光が見えかけているのですが、
それでも自分の力では
どうすることのできない
「大人の事情」に翻弄されている
「少年」たちが気の毒でなりません。

他の堀江作品同様、何か大きな事件が
起きるわけではありません。
さらなる悲劇が追い打ちを
かけるわけではありませんので、
ことさらやりきれない物語には
なってはいないのです。
でも、読後に感じるのは
何ともいえない「重さ」です。

「現代の子どもたちは
いろいろな事情を抱えている」と
書きましたが、子どもが自ら
抱えているのではありません。
大人が子どもに抱えさせているのです。
「家族一緒に暮らすことが
一番大きな夢」。
やはり、やりきれない思いがします。

(2020.4.16)

kpさんによる写真ACからの写真

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